読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

取り戻そう日本の美しさを

日本の美、日本の景観、日本人のこころ、日本らしさについて考えるブログです。

国挙げて日本のガードレール信号機街灯柵フェンス等は「焦げ茶」に統一すべし

景観は環境!

これも国を挙げて統一をした方が良い。
    
日本国内にある歩道橋、
街灯、信号機、歩道や
敷地を囲う柵やフェンス、
それ以外にも柵という柵、
車止め....
といった道路などの設備は
みな、茶色(深い色、焦げ茶色)
の塗装で統一をするという
法律を作るのだ。
前回にも書いたが、
「色」について法律で
定めている国はある。
    
なぜ統一する必要があるのか。
日本で、上記の歩道橋や街灯、
柵、信号機、フェンス、
車止めなどは
だいたい無難とされる色が
使われている。
しかし、それは各自治体、
各敷地の所有者によって
その色指定が違うので
全体で見ると
(つまり俯瞰で見ると)
まちまち、バラッバラなのだ。
同じ幹線道路でも
市町村が変わると途端に
歩道橋の色が変に変化する。
変に変化、というのは
なにかというと
その色の変化に全く
調和が取れていないのだ。
また道路脇の柵も
今まで真っ白だったかと思えば
その次はいきなり
エメラルドグリーンになり、
その先は妙に薄いグレー、
その先は茶色、
そしてまた真っ白.....。
こんな感じの繰り返しなのだ。
     
「逆に統一なんかしたらつまらない」
などというのかもしれないが
いや、道路にはそういった
設備だけでなく既に
そりゃーもう色とりっどりの
建物や看板がひしめきあっていて、
ただでさえ色数過多、
色数飽和状態なのだ。
ごみ箱がひっくりかえった
ような状態なのである。
せめて、道路設備ぐらい
統一した色にしないと
調和が取れないのだ。
道路設備の
色の統一なくしたら
調和に関して、もう、
取りつく島が無いのだ。
日本はそこまできている。
その統一するカラーは
いわゆるベーシックカラーで
ある必要がある。
    
ベーシックカラーというと
思い浮かぶのが
黒、グレー、白、茶色、紺
といったところ。
洋服ではベーシックカラー
といえばだいたいこの色
たちだろう。
道路設備がなぜ
ベーシックカラーが
良いのかといえば、
道路沿いに建つ建物が
みんな違う色をしているためだ。
洋服のコーディネートでも
2色の色を使えば
必ず黒や茶色といった
ベーシックカラーで
引き締めなくては
まとまらないのと同じだ。
この色の調整はそのまま
街の景観にもあてはまる。
     
そして茶色なのはなぜか。
この上の
ベーシックカラーのうち
最も日本の風土に合う色が
茶色だからだ。
実際私が道路を走っていて、
道路沿いの設備の色で
一番周囲と調和が取れていると
感じたのはやはり茶色だ。
この理由は何回も書いているが
自然の構成色のひとつ
にもなっているし
(土、木の茶色。
 また日本は山が多いので
 当然木が多い)
木造の建築物が
多いからである。
茶色といっても
深い色の方が
より調和が取れている。
明るい「赤茶色」のような色
よりももっと深い
「焦げ茶」がベストだ。
    
この茶色に関しては、
日本では大都市圏でも
自然の広がる地方においても
両方当てはまる。
日本ではどこでも
街の景観に関しては
ベーシックカラーは茶色が
最もふさわしいだろう。
    
また、茶色に定める利点は
もうひとつある。
「犯罪件数の減少」
の効果である。
「えーなんで、色一つで
 犯罪減少なんかになるわけー?」
と問いたくなるだろう。
しかし実例があるのだ。
神奈川県のある街では、
街灯などの道路設備を
「紺色」に定めた。
「紺色」は「茶色」と同様
深みのある色であり
「落ち着いている」という
印象を抱かせる色だ。
その落ち着いた色に
道路設備の塗装を変えた後、
犯罪の起きる件数が
減っていったそうだ。
その「紺色」に囲まれた
環境に置かれた事により
なにげなくではあっても
そこに住む人達の精神が
次第に落ち着いていった、
ということだった。
色というのはやはり
人の精神に影響を少なからず
与えているのであり
侮ってはならない存在なのだ。
これはテレビ番組でも
挙げられた。
紺色を茶色に変えても
同様の効果があるだろう。
道路設備を全国一律
茶色に定めれば
どの街でも犯罪件数は
下がっていくだろう。
(まあ下がり方は
 地方によって
 多少の差はあれど)
こういった点でも、
この「茶色統一」の法律は
制定してほしいものだ。
   
しかしこう言う人も
いるだろう。
「歩道橋が、
 日本中どこ行っても
 同じ色じゃつまらない」。
確かにそうだろう。
そうしたら、どうしたらいいか。
デザインに変化をつければ
いいのである。
これは街灯もしかりだ。
色彩的には変えないで、
造形的なデザインで
差をつけるのだ。
今の日本の道路設備は
全く逆である。
歩道橋のデザインは
どこの街でも造形的に
ほとんど一緒で
色で変化を出しているようだ。
しかしこれはあんまりにも
近視眼的であり
街の全体像が見えていない。
周囲と全く調和していない
色の歩道橋がたくさん存在し
それが景観を壊している例が
たくさんある。
市町村のセンスを疑ってしまう
ケースが非常に多い。
そうじゃない。
デザインで
変化をつける方がいいのだ。
そうすれば周囲の景観との
調和も図れるし、
変化もつけられるのである。
    
この道路設備のデザインに
ついては後ほど書くつもりだが、
歩道橋のデザインに関しても
この国は日本なのだから、
もっと日本的な形の
デザインにしたら
いいのではないだろうか。
大都市圏でビルが立ち並ぶ様な
近未来的な空間の中では
ちょっと変かもしれないが
特に自然の多い地方においては、
茶色で、日本的な
デザインにすれば
遠くに山が並び、
近くには田畑が並ぶ様な
幹線道路では
とても調和が取れて、
山や田畑の風景が
ますます美しく
見えるのではないだろうか。
地方に多く今も存在する
木造日本家屋、
歴史的建造物、神社、寺
などとも調和し、
またそういった
日本に古くからある建物が
魅力的に映る。
(まあ、これに道路沿いの
 広告看板がすっかりなくなりゃ
 最高なんだけどなー)
    
そう、
忘れてはいけないのだ。
日本の自然は
本来美しいものなのだ。
田舎がなぜ
「ダサイ」のかといえば
自然の美しさの色彩造形を
まったく無視した
中途半端に都会的な
デザインの建物なり看板なりを
もってくるから
不調和になり、
→「田舎がダサイ」となる。
そういう図式に
日本中がなっているのだ
ということを。