読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

取り戻そう日本の美しさを

日本の美、日本の景観、日本人のこころ、日本らしさについて考えるブログです。

波動調整?

わたしごと

超、わたしごとだけれども
一軒家に引っ越しして一ヶ月が経った。
前住んでいたアパートの近くに
建売で建っていて、前から気にはなっていた。
その家にまさか自分が住むとは。
想像してなかったような
想像していたような。
      
4月の終わりに契約をして
それから5月、6月は何かとバタバタ。
といってもいつもゆっくりペースの動きなので
忙しい人から比べれば
活動量にしてはそんなに多くないのだが。
気ぜわしい、という表現が相応しいかな。
      
なんとも心地良い家だ。
メリット、デメリットそれぞれあるが、
私はこの家が好きだ。
      
家なんて「三回建てなきゃ分かんない」と
言われているように、
完璧な家、なんて、無い。
間取り一つにしても
キッチンリビングダイニングが
一つの開放的な空間になれば
洗い物の音がリビングまで聞こえて
しょうがない、とか、
リビングと階段をひとつの空間にして
これまた開放感を求めれば
冬暖房の温かい空気が上に上ってしまい
リビングが寒くなる、とか、
リビング水回りを1階にしたければ
寝室などは2階になり、
老後はいちいち階段を上り下りしなければ
ならなくなる、とか、
壁を珪藻土で塗れば、
そこに住む人の健康には優しいが
その壁を拭く事はできなくなるから
汚れが付いた時には結構大変、とか、
絶対なんかしらどこかを良くすれば、
なんかしらはデメリットが出てくる。
       
好みの問題、なんだろうと思う。
      
これは人についても同じで、
完璧な人、なんていない。
「無くて七癖」これは正解だと思う。
まずもって
欠点が全く無い、という人に
私は会った事が無い。
反対に、まったく良い所が全く無い、
という人にも会った事が無い。
     
その人にあるのはその人の個性。
その個性がある人からすれば欠点にも映るし
ある人から見たら宝に見えたりする。
自分で欠点だ、と思っていた事が
社会貢献に活かせるかもしれなかったりする。
とかいって自分自身、
自分で自分の事をあんまりよく分かってないらしくて
「自分、社会の役になんか立つんだろうか」
考えあぐねていたりするのだが。
       
でもこれといった仕事をしていない、
例えば専業主婦だって
立派に貢献しているのだと思う。
主婦、というのは「三食昼寝付き」とか言われて
軽んじられているような気がするのだが
主婦は主婦で、家のもうひとつの要の役割だと思う。
また「波動調整」の役割も持っていると思う。
「お母さん」がピリピリしていたりしたら
家の全体的な雰囲気もピリピリしてしまう。
逆に、お母さんがいつも柔和で優しくて、
という感じなら、
家の雰囲気も和やかで穏やかになるだろう。
       
それに洗濯、掃除一つだってとても大事だ。
服だけでなく、足拭きマットや、枕カバーが
綺麗になっていたり
布団もほしたてのふかふかにしてもらえたら、
いつも居る部屋が掃除されて片付いていたりしたなら
それだけで小さな幸せを感じる事だって出来る。
     
それに料理。言うまでもない。
医食同源であり、その人の健康を作る。
仕事場や学校から家に帰って
その夜の食事があたたかで美味しければ
それだけで幸せだ。
      
お母さんはそれを担っている。
とても重要な役割だ。
        
それ以外にも
一見役割を持っていない
なんにも貢献していないと思われる人だって
意味があってそこに居るのだと思う。
ニート、引きこもりが問題になって久しい。
しかしこの人達も何も意味が無くて
そういう状態に居るのではない。
本人は相当に辛いのだろうと思う。
というか、私自身苦であった。
(私も鬱病になりニート状態になった事がある)
一説によれば、
この引きこもり状態にある人は
やはり地球規模で考えると「波動調整」の役割を
担っているのだと言う。
地球上で活動している人達、働いている人達。
そこには競争、搾取、また実際に戦争もある。
こういった行動、活動はとても波動が粗く、
その人達から出る波動は地球を不健康にする
というのだ。
そして、活動量が少ない
引きこもりの人達が増える事によって、
地球上の波動を穏やかにしているのだと言う。
また引きこもりの人が増えたのは単なる偶然では
ないと言うのだ。
この説には私は半信半疑だが
全く当たらずとも遠からずなのかも知れないと思う。
      
病気の人たち。
病気に陥っている人は、
自分は社会貢献ができない、駄目な人間だ、
周りに迷惑ばっかり掛けてどうしようもない人間だ、
と考える人も多い事と思う。
でも、これもある人が言っていたが
その人が病気になる事によって、
その周囲の人は「人を愛する事」を学ぶきっかけに
なるのだという。
つまり「愛を学ばせる」役割を担っているのだという。
そうなのかもしれないと思う。
       
不幸にも幼くしてなくなってしまう子供達。
子を亡くした親、悲しいだろうと思う。
でもこの子も親に愛を学んでもらう為に
短い命と知りながら生まれて来たのだ
ということを聞いたことがある。
      
ただそこにいる、人なんて居ないのかも知れない。
どんな人も、なにかしら、担っている。
縁あって出会う人出会う人に、何かの影響を与え、
課題を与え、愛を与え、
それらを交換し合っている。
磨き合っている。
      
家の話から人の存在の話になっちゃった。
まあいいや、今日はわたしごとだから。
     
とにかく目の前にあるやるべきこと。
一見無駄だと思えるような
これらの事を一つずつこなしていく事が
広くは社会の誰かの役に立って、
自分の糧になっていくのかも知れない。

広告を非表示にする