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取り戻そう日本の美しさを

日本の美、日本の景観、日本人のこころ、日本らしさについて考えるブログです。

元気が良けりゃ、それでいいのか!?

日本人のメンタリティ

こんなオリンピックの時期に、
こんなことを書くのはなんなのだが。
      
昨年起こった3.11大震災。
その翌年の、このロンドン五輪
被災地をスポーツで元気に」
なんて言われているようだ。
他にも「○○で東北を元気に」といった
フレーズを聞くことがある。
      
また接客に関しても
「元気のよい接客」が良しとされているようだ。
     
しかし私はこの「元気がよい」を「良し」とする事に
少しばかり疑問を持っている。
元気がよければ、それで良いのか?
      
スーパーのレジ打ちのコンテスト
チェッカーフェスティバル
の模様をテレビで見た事がある。
それがまた、尋常じゃないのだ。
もんのすごい大きな声で
「こちらへどうぞ!!!いらっしゃいませ!!!!」
「390円!!399円!!215円!!・・」
「4266円のお買い上げでございます!!」
「ありがとうございました!!
 またお越し下さいませ!!!」
これまたテンションの高さが尋常じゃない。
でもその声の張り上げが
このコンテストでは「良い」とされているのだ。
      
実際こんな大声で接客されたら
お客さんは引いてしまうだろう。
笑顔なのはいいのだけれども
大声張り上げられるのは正直疲れる。
特に元気のない時、疲れている時に
あのような接客をされると困る。
ますます自分の元気の無さに
トホホ、となる。
     
上記の「東北を元気に」に話を戻す。
今も仮設住宅で暮らしている人が沢山いる。
そばには引き取られることの無い瓦礫の山。
とても親しかった家族や親戚、友人が死んでしまって
まだその悲しみから癒えていない人が沢山いるだろう。
生活費を稼ぐのに必要な仕事が見つかっていない人も
沢山いるだろう。
家のローンが払い終わっていないのに
その家は壊れ、新たな家を建てれば
二重にローンを払わなければいけない。
仕事を見つける気力さえ無い人だっているようで、
テレビで報道されていた。
     
そんな時に「元気に、元気に」と言われても
実際は困ってしまうのではないだろうか。
悲しみから癒えるには、時間が掛かる。
鬱病になってしまった人に一生懸命
励ますのに似ているような気がする。
鬱病になってしまった人には
 励ましてはいけないというのが常識だ
 本人は、頑張りたくても頑張れないからだ)
      
被災地は、そんなにすぐには元気にはならない。
元気になれない。
復興には時間が掛かる。
時間を掛けなければいけなかったりもするだろう。
着実に復興するには。
なんでも一足飛びにはいかない。
東北を応援する。それは良い事かもしれない。
でもあまり性急で大げさ過ぎるのも
ちょっと問題かもしれない。
     
私は被災者ではないから
かもしれない、しか言えないのだが
少しリラックスが必要かもしれない。
鬱病などの精神疾患に掛かった時に
休養がとても必要なように。
休養の一つもしなければ、明日への活力も湧かない。
明日へのアイディアも出てこない。
      
     
人々に本当に必要なのは「元気」なのか。
特に日本人、
本当に必要なのは「幸福であること」
ではないだろうか。
そして、「元気」=「幸福」と
本当に言えるだろうか。
私は少しずれていると感じている。
それは「元気を出しているが幸福でない」
「カラ元気」が存在しているからだ。
今、おそらく殆どの日本人は「疲れている」。
しかし接客業などの人は
「元気」を出さなければいけない。
なぜなら、「元気な接客」が良いとされているから。
だから「カラ元気」な接客となってしまう。
「カラ元気」は真の幸福にはなれない。
     
何から「幸福」は作られるだろうか。
むしろ「緩やかさ」「穏やかさ」「和やかさ」
から作られるのではないだろうか。
      
「元気に、元気に」とせっつかれて来た日本人。
そのため頑張り過ぎて疲労がたまる。
こんなに物が溢れて豊かな暮らしが出来るのに
金銭的にも髪にカラーリングができるくらいあるのに
年間3万人が自殺している。
自殺者は必ずと言っていい程「鬱病」の過程を経る。
(これはある番組で放送されていた内容だ)
鬱病は脳の疲労から起こる。
      
そんなに元気に頑張る必要があるのか?
そんなに元気に頑張らなくても良いのではないか。
       
接客。
たしかにぶすっとした顔で笑顔も無しに
接客するのはあまり良くないと思う。
でも、そんなに声を張らなくてもいいと思う。
「にこやかに」「穏やかに」「和やか」であれば
それでもいいのではないだろうか。
落ち着いた声のトーンでもいいのではないか。
お客さんが「しあわせな気持ち」になるようだったら
それでいいのではないだろうか。
      
東北の被災地。
そんなに「元気」にならなきゃだめか?
今すぐ「元気に」なんて難しいのではないか?
今は心を癒す為に休める人は休んで良いのではないか。
ペースが遅くたって、なかなか進展しなくたって
3ヶ月前より、何かが良くなっていれば
それでいいのではないか。
復興。そんなに一足飛びには出来ない。
でも何か一つでも将来の計画が立てば
それで良しとならないだろうか。
     
オリンピック。
そんなに「完全」にならなくたっていいのではないか。
そんなに「金メダル」が欲しいのか?
いいじゃないか。
「銅メダル」だって「入賞」だって素晴らしい。
以前よりもその選手の何かが進歩していれば
それで素晴らしいではないか。
      
メダルの数なんて、そのメダル数上位の国なんて
そもそも参加人数が日本を大きく上回っているのだから、
比べたってしょうもない。
開会式の入場行進を見たが
メダルの一個も取れない国、
得意種目が一つだけしか無い国、いろいろある。
参加人数数人しかない国がたくさんある。
その中で200人以上も送り込んでいる国は
先進国は確かに多いが、世界中の国の中からすれば
とても珍しいのだ。
しかも日本の場合、得意の種目、
メダルを取っている種目がいくつもある。
それって、かなり凄いことだ。
日本って、凄い国なのだ。
しかしテレビではメダル数上位の国と比較なんかして
「もっとメダル穫らなきゃダメだ」的な
報道をしている。
その為に、日本人は
既に凄い活躍をしている日本の選手を
誇りに思えない。
既に活躍していて、充分誇れる状態であるのに!
なんともったいない。
今で充分凄いのに!
      
そう。今で充分良いのだ。
おそらくほとんどの日本人。
ひとそれぞれ「もう少しこうなれば」
という課題や目標があるだろうと思う。
でも今日一日、無事に過ごせている。
戦争も無く、
被災地の人でない場合衣食住も足りている。
趣味だって持っている。
CDや本の蔵書数だってかなりあるじゃないか。
服だって、売らなきゃ箪笥に収まらない程、
あったりするだろう。
凄い事だ。
アフリカでは300万着、服が足りないというのに。
今の状態で、既に「幸福」な筈だ。
「緩やか」で「穏やか」で「和やか」に
なったって良い筈なのだ。
     
なのにそうならない。
     
目標が高過ぎるのではないか?
頑張り過ぎているのではないか?
また、経営者は労働者に
少ない賃金で頑張らせ過ぎているのではないか?
本当は現状維持で充分ではないのか?
労働者に心のゆとりをあたえているか?
小中学校の生徒は
本当は塾なんて、行かなくていらないのではないか?
お受験なんて、目的は親の見栄ではないか?
将来何になるか決まってれば凄いではないか。
年頃の女の子。
そんなにこれ以上「綺麗」にならなくたって
良いのではないか。
モテなくたっていいじゃないか。
大切な人一人と一緒になれるなら。
なにも彼氏がイケメンでなくたって、
いいじゃないか。
お互いの存在を大切にし合えれば
それでいいではないか。
実は今で充分なのではないか?
      
      
今で充分、良いのではないか?
     
今の状態に感謝、できているか?
そちらの方が大事ではないか?
     
これ以上元気になる必要があるか?
「緩やか」で「穏やか」で「和やか」なら
それでいいのではないか?
それで充分、「幸福」ではないか?