読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

取り戻そう日本の美しさを

日本の美、日本の景観、日本人のこころ、日本らしさについて考えるブログです。

少しの名声が欲しかった

わたしごと

今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
〈春のブログキャンペーン 第3週〉

 

これは

必ずしも子供の頃、

という訳ではないのだが、

少しの名声が欲しかった。

そんな時代があった。

 

発端は

いじめられた事だ。

若かった私は

おそらく世間知らずと

見なされていた。

表面だけで判断されてな。

馬鹿にされた。

 

もしも名声を得たならば

そんな、

私を馬鹿にしていた奴らも

少なくとも

私を見下す事は

しなくなるだろう。

そう思って疑わなかった。

だから名声が少し、

欲しかった。

 

しかし、いざ、

名声を得たならば

その代償が来る。

あらゆる束縛に

苦しむ事になるだろう。

人脈を得たはいいが、

そのしがらみ。

 

名前が知られた事により、

2ちゃんなどで

ある事無い事で

一言も言葉を交わした

事もない輩から

執拗に書き立てられる。

そいつらに

あんたね、私と喋った事

無いくせに

私の何を知ってんのよ、

と言いたくても

言えない状況になる。

 

メディアでは

言いたくても言えない事

だらけになり、

本音を言いたくても

言う事はかなわない。

 

どんな人間にも

一つや二つの

過去の悪事はあるだろうが、

その、自分の過去の悪事を

晒される。

そしてそれが、週刊誌等に

書き立てられる。

 

名声なんて

持つものじゃない。

 

ウン十億円プレイヤーだって、

目の前のボールと

ひたすら向き合って、

そして自分の体に

向き合って、

言う事を聞かない体を

なんとか調整して調整して

トレーニングに

トレーニングを重ねて

辛い辛い思いをしている。

 

外に出たら

マスコミにうまく

喋んなきゃなんない。

サインをねだられたら

今忙しくて余裕なくても

良い顔して

応じなきゃなんない。

ちょっと疲れてしまった

といって、

誰かに八つ当たりの

一つでもしたならば

翌日には

全国全世界に

知れ渡ってしまう。

 

常に自分自身を

律しなければならない。

 

貧困の中にいる人は

貧困に向き合わなければ

ならないし、

病気の最中にいる人は

病気に向き合わなければ

ならない。

 

三食昼寝付きと

揶揄されている

専業主婦は

家事を地味に

こなさなければならないと

同時に、

世間から見られる

イメージの低さに

晒される辛さが

あったりする。

 

モノ書きは、

缶詰にされる。

 

デスクワークは

顔も合わせたくない

上司や同僚と

長時間、

顔を突き合わせて

仕事しなきゃなんない。

 

ゲージツ家。

一見、好きな事やってて

幸せそうに見える。

でも、

まだ誰もやった事のない

ような事をしたならば

必ず、

世間から

非難ゴーゴーを

浴びせられたり

するもので、

それはきついものだ。

 

 

名声を持つ事の

デメリットを挙げたが、

その理由だけで私は

名声を望まなくなった

訳でもない。

 

なんだか、

本当に

どうでも良くなったのだ。

 

この世の中に生きている

人々には色々な人がいて、

それぞれの段階を

それぞれの

違うタイプの人生を

生きている。

それは、

一つの物差しで

測れるものでは無い。

その中には

名声を持つ人もいるだろう。

名声など無い

一般人もいるだろう。

 

だけど共通するのは

何かしら

「課題」を抱えていて、

それに取り組んでいる、

という事だ。

これは

別に名声なんか

持っていない人だって、

とても有名な人だって、

おんなじだ。

 

それぞれの段階で、

それぞれの壁、

課題に直面して

それでも血眼になって

それを打ち破ろうと

取り組んでいるものだ。

 

だから、

それぞれにはそれぞれの、

自分には自分の

課題を持っているから、

その課題に

ひたすら取り組む以外に

無いんじゃないかと

思うようになったのだ。

 

それが、

「生きている」

という事なのでは

ないのかと。

 

「この世はたましいの

 トレーニングジム」

というのは

こういう事なのだろう。

 

肉体を脱げば、

いずれまた

楽な世界に行けるのだから、

ならばせめて、

この世に生きている間は、

ちょっと頑張って、

トレーニング

していようか。