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取り戻そう日本の美しさを

日本の美、日本の景観、日本人のこころ、日本らしさについて考えるブログです。

気晴らし程度に運動する為に部活をやってはいけないのか(ブラック部活について)上下関係学ぶなら授業でやれば?

日本人のメンタリティ

気晴らし程度に運動する為に

部活をやってはいけないのか。

 

最近問題になっている

「ブラック部活」。

今回はこれについて。

 

私は前から思っていた。

というか

中学高校の頃から

思っていた。

この「部活」なるものの

異常性について。

 

しかも

この「部活」とやら

特にサッカー部とか

野球部とか

バスケ部とか

バレー部とか

アメフト部とか

ラグビー部とかに

入っていると

それだけで結構

学校の中で

「イケてる人」扱い。

スクールカースト

上位の生徒は必ず

運動部に入ってるか

厨房のくせに

彼女とか作ってる

ヤンキーかどちらか。

 

その「部活」とやら。

なにやら中途半端な精神で

活動してはならないらしく

練習というものには

例えば週に4日あるなら

4日全日強制参加は

当たり前で、

その練習自体も

真剣に取り組まなければ

ならず、遊び半分で

参加をしていると

「シゴキ」という

スパルタが待っている。

 

さらには

センパイなるものとの

上下関係、

敬語を使う、とか

しょっっちゅう

顔を出してくる

オービーオージー

なるものへの

おもてなしという

オシゴトも

活動の内だったりする。

 

こういった人間関係を

経ていく事により

部活というものは

目上の人、同学年、

顧問の先生等に対する

接し方などを学ぶ

「人間形成の場」の一つ

という位置付けも

なされているようだ。

 

 

なんだかなー。

 

 

中学高校で

部活をやってきた

私の経験でいうと、

私は部活によって

余分にエネルギーを

吸い取られたようにしか

思っていない。

 

特に高校、

私にとって

部活は一種の

エネルギーバンパイア

でしかなかった。

ただでさえ

その頃の私自身は

鬱を発症し始めていて

エネルギーが

既に枯渇気味だったにも

関わらず

追い討ちをかけるような

ものだった。

当然楽しくなんかない。

ただ続けただけ。

早々に

やめりゃよかった。

 

今思うと

その時間、

自分が本当にやりたい

別の事をしていた方が

確実に生産的だった。

 

本当はその高校、

別に部活強制では

なかったのだから

帰宅部という選択肢も

あったのだが

その頃は私は

周りの目を気にする人間で

「部活に入ってないと

 ダサいと思われる」

という

しょーーーもない動機で

部活をやっていたのだから

更にどうしようもない、

救いようもない阿呆

だったのである。

 

そもそも私は

それほど「運動」

というものを

必要としては

いなかった。

 

一方で

その「運動」を

日常生活で

必要としているタイプの

人もいる事は確か。

「体動かさないと

 なんか調子悪いんだよね」

とか

「じーっとしてるの

 大嫌い!」

という人。

こういうタイプの人は

どんどん部活をやれば

いいと思う。

 

でも

なにも多くの部活が

やっているように

あそこまで根詰めて

真剣に厳しく

やらなくても

いいんじゃないかと思う。

 

なんであんなに

変な緊張感を持って

やらなきゃいけないんだろう。

もっと肩の力

抜きゃあいいのに。

 

そうそう、

この部活とやらで

外せないイベントが

運動部ならば

「大会」という奴。

吹奏楽なら

「コンクール」

なるものの存在。

 

たいていの部活は

この「大会」とやらに

向かって厳しい練習を

積み重ねて行くのが

お決まりのパターン。

 

そしてその大会で勝って、

県大会に進んで

さらにその上の

インターハイ等に

駒を進められれば

その部活のある学校の

「名誉」となり

「○○高校○○部、

 県大会○位入賞おめでとう!」

とか

「○○部○○さん、

 県大会○位おめでとう!」

といった垂れ幕や横断幕が

校舎に掲げられたりする。

 

なんだかなー。

 

この大会というのも

部活に入っている人は

強制参加が基本だが、

これが諸悪の根源な

気がする。

 

ただの気晴らしで

運動したいから

運動部に入るのは

だめなの?

 

というか

大会に向けて練習する

タイプの部活だけ

じゃなくて

ただ気晴らしで

体を動かすだけの

部活だって

あってもいいと思う。

だめなのかなー。

 

これは前の記事にも

書いた事だけど

だいたいね、

この中学高校

という時期は

「将来何で食ってくか」

という、

人生でひじょーーに重要な

事を決める時期で

その選択にいちっっばん

エネルギーを注いで

いかなければならない

時期なんだよ。

本来は。

 

自分が、

どんな事が好きで

どんな事が向いてるか。

好きな事を仕事にしたいが

それならば今は

この教科をもっと

伸ばしていかなくては

いけないから

もっとこの教科を

勉強していこう

といった試行錯誤が

この時期は

とても重要なのだ。

 

こんな

しごかれまくって

厳しい練習に

いそしまなければ

ならないような

部活なんて事を

している場合じゃ

ないんだよ

本来は。

 

本来は

その部活やってる時間

もっと伸ばしたい教科を

勉強する時間に

当てるべきなんだよ。

 

例えば

建築や機械製造、

ITに行きたいなら

理科や数学を強化したり

デザインに進みたいなら

絵を描いたり

美術理論を学んだり

音楽に進みたいなら

楽器を練習したり

飲食に行きたいなら

料理の実習を重ねたり、

といった事を

この時間に当てる

べきだと思うんだよ。

 

ブラック部活と

言われていて

これはその顧問を務める

教職員にとって

ブラックだと

いう事なのだが

生徒にとってだって

この部活システム

充分ブラックだよ。

 

こういう

将来に向けて準備する

貴重な時間を奪って

無駄にエネルギーだけ

吸い取っていく

この部活システム

というもの。

 

本気でスポーツやりたい

スポーツを極めて

大会に出て勝ち進んで

行く所まで行きたい、

という人なら

今のいわゆる部活を

していいと思う。

 

だけど

本当は別の事を

したいのに、という人まで

この部活を強制する規則、

または「同調圧力」で

「部活やってない人は

 ヘンな人」みたいに

みんなが部活やってる時間に

他の事をやっている人を

軽蔑する風潮、

もういい加減に

なんとかするべきだと思う。

 

「部活の大切さ」で

語られる側面の一つに

上にも書いた

「人間形成」。

特に目上の人に対する

接し方を学ぶ良い機会だ

と言われたりする。

だったら、

なんで授業でやんないの?

 

なんでわざわざ課外活動で

それをやんなきゃ

なんないの?

しかも真剣にやった所で

大多数の人間にとっては

それ程将来に役に立つ

訳でもない分野の活動を

やってまで。

 

授業でいいじゃん。

例えば金曜日の午前中

2時間使って

学年をシャッフルして

色々な学年の人が

同じプロジェクトに

取り組んだり

フィールドワークを

する授業とかに

すればいいじゃん。

 

学年を超えた組織を

全学の中に10〜15組織

作って、

それぞれ独自の

研究テーマ、

プロジェクトテーマを

持っている。

 

そのプロジェクトチーム員は

金曜1、2時限目に集合

共通のテーマに

話し合い等を重ねながら

取り組んでいく。

で、学年末に

取り組んだテーマを

プレゼンする。

といった事をやれば

そこで自然に

上下関係や敬語の使い方、

といった事も

自然に身につくのでは

ないかと思う。

 

内容としては

社会主義についてとか

文化人類学とか

心理学とか

理研究とか

プロダクトのリデザインとか

古民家再生とか

里山資本主義とか

プログラミングして

アプリを作成するとか

ブラタモリのような

地質調査とか、

共同作曲とか。

 

こっちの方が

部活より

面白いと思うんだが。

 

基本的に

放課後は

解放してあげなさいよ。

 

本気でやりたい人以外は

好きにさせれば

いいと思う。

部活以前に

本当にやらなきゃいけないのは

「将来何で食ってくか」

きちんと決める事だよ。